営業力のある会社の3つの特徴|「営業力のある会社」を自社で再現する視点――個人技ではなく“落ちない水準”で捉える
営業力のある会社が営業マンに対する育成機会を多数設けていることは想像に難くありません。しかしそういったテクニカルな育成手法だけで営業力の強い絶対的な組織を作ることはできるのでしょうか?もっと根底の部分である、企業文化や採用などが強い営業力を構成している要素として捉えることができるのはないでしょうか。
営業力とは何か
営業力とはその言葉を使う人によって大きくその定義が異なります。例えば下記のような形で使われ、その定義は様々です。
- 売れる力そのもの
- 売れる営業マンが備えている色々な能力の総合体
- 顧客が求める営業マン像を満たす営業マンのこと
- その他色々
営業という言葉自体はそれほど人によって認識がズレるものでないのに対して、上記のように営業力はそれぞれ主張する人によって異なるようです。しかし「営業力がない」が指す言葉の先にイメージできるものは「営業が弱い」という状態と「売れない」という事実の両面が成立している状態のようなイメージを持つのが一般的ではないでしょうか。
様々な定義のある「営業力」ですが一旦、下記のように定義いたします。
営業の売る力そのもの。
営業力のある会社
営業力のある会社としてどのような企業名を思い出すでしょうか?じゃらんやゼクシィ。近年では東証上場も果たし海外企業の買収が盛んな「リクルート」や、社員の独立支援制度などが有名な「光通信」、日本の高度経済成長を牽引した「野村証券」など、強い営業力を武器に業績を牽引してきたり、他社と差別化してきたようなイメージの会社を想像する人も多くいるかもしれません。そのような企業に共通することとして、どのようなことがあげることができるのでしょうか。
例にあげた上記3社のことを想定した回答ではありませんが、営業力の強い会社の共通項として下記のような項目をあげることができるかもしれません。もちろん営業力の強い会社として、研修などの営業マンの育成機会が整っているのはいうまでもありませんが、もっと根底のところで根深く営業力に関与していると思われる部分です。
- 独特な企業文化がある
- 給与水準が比較的高い
- 個の精神的独立性が担保されている
独特な企業文化がある
誤解を恐れずにいうと、他者からはある種の部分で宗教的な部分として目に映る部分もあるかもしれませんが、他社が一朝一夕にコピーできないような独特な企業文化を持ち合わせています。この他社が一朝一夕には真似できないというところがポイントで、いわゆる営業力がある会社というのは、他社からどれだけ営業成績が強い人間を引っこ抜いてきて集めても、恐らく、企業文化として営業力が強いというブランドを持ち合わせている企業には勝てないのではないでしょうか。そういう参入障壁を築けるのが営業力に繋がる一本の筋の通った企業文化なのかもしれませんし、これらがある種の妄信的に突き進む力とつながっているのかもしれません。「とりあえずゴールにたどり着くのが正である」「目標は達成すべきものである」という根底の部分が営業マンの精神的な強さを作り出しているような印象があります。もちろん採用の面においてもその文化に馴染める存在になりうるかという点はかなり優先順位の高い確認ポイントに置いている印象があります。
給与水準が比較的高い
営業力があるので給与水準が高いという意味ではありません。そもそも営業力とは果たして入社後の教育に全て決定付けられているのでしょうか。もしかすると新卒採用時のポテンシャルの部分で、ある程度勝負がついている可能性があります。大きな誤解を招く可能性もありますが、営業力が強いのは優秀層を囲っているという単純な可能性もあります。ここでいう優秀層とは学歴や思考の柔軟さという側面もあるでしょうし、人当たりという人間力も含みますし、例えば体育会に代表されるような我慢強さやストレス耐性などもそれに含まれる概念です。多くの面で平均値よりも高いポテンシャルや能力を持った人物を採用段階で選別し、1点目であげた企業文化とともに、後々の教育では中々変えていく難易度の高い「価値観」や「人柄」、育成機会の少ない「人間としての基本能力」は、既に入社後の教育対象ではない可能性があります。これらを高い給与水準を設定することによって採用母集団の集客力を高め、最初からいくつかのハードルをクリアしている人物を集めている傾向があるように思います。
個の精神的独立性が強い
これは個の尊重がされているとか個性が強いという意味ではありません。もちろん営業力のある会社が「個性がない」とか「軍隊のようなイメージである」とかそういう次元の低い話でもありません。
まず「個の精神的独立性」とは営業マン一人一人が自分の意志で自分を奮い立たせる力を持っているという表現が一番意味としては近いでしょうか。もちろん人間ですので、365日常に100%という状態で仕事に向かうことができているかというと恐らくそういう日ばかりではないでしょう。しかし平均値を取ってみると限りなく仕事へのモチベーションは高く、何よりも仕事を会社から「やらされている」という感覚ではなく、目標達成というゴールに向かって「自分の意志で歩んでいる」状態のことです。逆に個の精神的独立性がない状態というのは、例えば、精神的な会社依存が強い状態だったり、他責文化の浸透した企業においては望むべくもありません。
まとめると、営業力は成果を高めるうえで欠かせない視点です。要点を振り返り、自分の現場に合わせて実践していきましょう。
個人の営業力と組織の営業力は、まったくの別物
ここまで挙げてきた要素は、いずれも「会社」の性質に関するものでした。ここで一度、混同されやすい二つの営業力を切り分けておきます。個人の営業力とは、一人の担当者が生み出す成果そのものです。対して組織の営業力とは、担当者が入れ替わっても落ちない全体の売上水準を指します。両者はしばしば同じ言葉で語られますが、経営者やマネージャが見るべきなのは後者です。
見分け方はシンプルです。仮に成績上位の一握りを名簿から外したとき、残ったメンバーだけで数字がどれだけ保てるかを考えてみてください。上位数名が抜けた瞬間に事業計画が崩れるなら、それは「個人の営業力が高い会社」であって、「営業力のある会社」ではありません。
もう一つの目印は、商談の勝敗を説明する言葉です。受注も失注も「あの人が担当だったから」で片づけられてしまう会社は、成果の理由が担当者名に吸い込まれている状態です。誰が動いたかではなく、どのプロセスが効いたかで勝敗を語れるようになって初めて、組織の営業力が芽生え始めます。
営業力を支えるのは、仕組み・再現性・育成の設計
組織の営業力は、精神論では積み上がりません。核になるのは「勝ちパターンを言語化し、型として渡せる状態」です。トップ営業が無意識にやっているヒアリングの順番、提案に入る前の下ごしらえ、決裁者を巻き込む段取り。こうした暗黙知を商談フェーズごとに分解し、誰の目にも見える形に置き換える作業が出発点になります。
育成も、隣で見て覚えるOJT頼みから一歩進めたいところです。初回訪問で何ができれば合格か、提案フェーズで何を外してはいけないか。段階ごとに「一人前の定義」を置くと、新人が今どこでつまずいているかが特定できます。立ち上がりに要する期間の目安も、感覚ではなく段階の通過スピードで見られるようになります。
そして、商談履歴や失注理由が個人のメモ帳に眠ったままでは、経験が組織に還元されません。同じ相手に別のメンバーが二度同じ質問をする、過去に一度断られた理由を誰も知らない――こうした取りこぼしは、記録が個人資産のままである限り繰り返されます。型があるからこそ新人が早く立ち上がり、その速さが次の型を生みます。この循環が回っている状態を、仕組みで支える営業力と呼びます。
自社の営業力は「ばらつきの小ささ」で測る
営業力を数字で捉えたいとき、平均受注率だけを見ても実態はつかめません。むしろ見るべきは、担当者間の成約率のばらつきです。全員が一定以上の水準に収まっているのか、一部のエースが全体平均を押し上げているだけなのか。この散らばりの幅こそ、組織の営業力の密度を映します。ばらつきが小さいほど、誰が担当しても一定以上売れる状態に近いということです。
具体的な観測点としては、受注率、初回接触から受注までのリードタイム、新人が独り立ちするまでの期間、そして失注理由の分布あたりが目安になります。失注が「価格」「タイミング」に偏っているのか、担当者ごとにバラバラなのかを見るだけでも、弱点が個人にあるのか仕組みにあるのかが見えてきます。
決定的な負荷試験は、人が抜ける場面です。中堅が急に離脱したとき、引き継いだ相手の数字が数か月で回復するのか、案件ごと立ち消えになるのか。この復元力が、平時の見栄えのよい数字よりも正直に自社の営業力を語ります。
営業力が弱い会社に共通する、いくつかの兆候
逆側から輪郭をなぞると、弱さの共通点が見えてきます。第一に、売れた理由も売れなかった理由も説明できないこと。好調も不調も「なんとなく」で語られ、再現も改善も打ち手が定まりません。第二に、ナレッジが属人化し、失注がまともに振り返られないこと。負けが記録されなければ、同じ負け方が組織のあちこちで静かに反復されます。
第三に、マネジメントが結果の詰めに偏り、プロセスを見ていないこと。数字の未達だけを責めても、どの工程で取りこぼしたかが分からなければ、来月も同じ場所で落ちます。そして第四に、目標が上から降ってくるノルマとして受け取られていること。当事者意識の欠けた組織では、いくら精緻な仕組みを敷いても、それが回し手のいない機械のまま放置されます。これらは単独で現れることは少なく、たいてい連鎖して弱い組織の輪郭を形づくっています。
そもそも「営業力のある会社」とは、優秀な個人の集まりのことなのか
ここで前提そのものを疑ってみます。私たちは「営業力のある会社」と聞くと、切れ者が机を並べている光景を思い浮かべがちです。けれども、優秀な個人が集まっていることと、会社に営業力があることは、実は別の話です。
考えてみたいのは、営業力の本当の所在です。個人技が突出した会社ほど、その一人が抜けた途端に数字が崩れます。エースの退職で四半期の計画が吹き飛ぶ組織を、私たちは「営業力のある会社」と呼べるでしょうか。呼べないはずです。強さがその人の中にしか無いなら、それは会社の力ではなく、たまたま在籍している個人の力を会社の名義で数えているにすぎません。
だとすれば、「営業力のある会社」の正体は、優秀な個人の総和ではなく、属人性の低さにあると捉え直せます。属人性が低いとは、能力を平準化して全員を凡庸にすることではありません。誰が担当しても一定以上売れる状態――勝ち筋が個人の頭の中ではなく組織の型に宿り、新しく入った人間でもその型に乗れば水準を割らない状態のことです。トップの成績を五にも十にも伸ばすことよりも、下限を引き上げて、誰が出ても割り込まない床を作ること。この床の高さこそが、外から見た営業力の厚みになります。先ほど触れた成約率のばらつきや、人が抜けたときの復元力といった指標が効くのも、それらが結局この床の高さを別の角度から測っているからにほかなりません。
面白いのは、属人性の低い会社ほど、結果的に個人が育ちやすいという逆説です。型があれば、新人は車輪の再発明をせずに済み、その分だけ自分の工夫を上に積めます。個人の力を会社に吸い上げる仕組みが、巡って個人を伸ばします。逆に、個人の力に依存しきった会社は、育成もその個人の善意頼みになり、抜けた瞬間にノウハウごと蒸発します。そして皮肉なことに、突出した個人ほど、自分のやり方を言語化して手渡す動機を持ちにくいものです。属人性は、放っておけば強い個人がいる会社ほど深く根を張るのです。だからこそ床づくりは、現場任せにできない経営の仕事になります。
強さは、一人の天才ではなく、抜けても割れない床に宿ります。この視点に立つと、採用や文化づくりの意味合いも変わってきます。優秀な一人を射止める採用ではなく、入った人間が型に乗って早く水準へ届く採用と受け入れ。個人の閃きを称える文化ではなく、閃きを型へ翻訳して次へ渡す文化。営業力のある会社を見分けるとき、そして自社をそこへ近づけるとき、問うべきは「誰が優秀か」ではなく「誰が抜けても水準を保てるか」です。個人技の華やかさに目を奪われず、属人性の低さという、地味だが崩れない土台にこそ照準を合わせるべきなのだと思います。
Noteも書いてます
営業を"言語化""構造化"する話を、ゆるめに

