【妖怪】【語源】【マナー】「もしもし」ビジネスではNG?歴史から解説します!
知っているようで知らない「もしもし」語源や由来は?ビジネスの場ではマナー違反って本当?最初に「もしもし」はかける方が言うの?誰でも1度は使った「もしもし」の謎を徹底解説。歴史から紐解くもしもしの世界。
はじめに
日本人なら誰もが一度は使ったことのある「もしもし」。しかし、「なぜもしもしなのだろう。」と、その意味や用法について考えてみると不思議に思ったことはありませんか?もしかすると社会人にとっては、「もしもしはビジネスではマナー違反」「仕事で使うのは望ましくない」と教えられた経験もあるかもしれません。
そんな人たちのために身近なのによくわからない、「もしもし」の謎を調査しました。
謎1:「もしもし」の由来と歴史
解答:明治初期の「申し申し」が省略されて今の「もしもし」になった。
もしもしとは電話で応答する際、もしくは応答を呼びかける時に使う日本人なら誰でも知っている単語です。ちなみに辞書でひくと、電話の場面でつかう「もしもし」はあくまでも二番目の用例であり、電話以外で「もしもし」を使うこともあります。
「もしもし」
- ① 相手に呼びかけるときに言う語。
- ② 電話で話しかけるときに用いる語」
―――デジタル大辞泉より引用
そもそも「もしもし」とは、「申し申し」の音変化です。この「申し申し」とは感動詞で、意味は上に示した「もしもし」の①とほとんど同じです。それではどうして電話で使うようになったのでしょうか。
電話と「もしもし」の関係のはじまりは明治にさかのぼる
日本に電話が導入されたのは今からおよそ130年前の明治23年(1890年)です。当時、電話は一部の上流階級の人々だけが持つことのできるものでした。昭和初めにかけては電話をする際には交換手を挟んで行いました。
ですから、初期には裕福な人が少々横柄に「おいおい。」と呼びかけ、交換手が電話の相手につなぎ、「はい、ようござんす。」と相手が返事をする、という流れが電話のマナーだったわけです。
しかし、電話が一般的になり庶民の手元にも届くようになると、交換手への気遣いとして要件を伝える前の話始めますという合図として「申します、申します。」と言うようになり、「申し、申し」、そして現代にも残る、「もしもし」へと電話のマナーが変遷してきました。
「もしもし」は妖怪対策
なぜ、「申します。」ではなく、「申します、申します。」と同じ言葉を2回繰り返したのでしょうか。
その理由は明治社会に色濃く残っていた「一声呼び(一声叫び)」と呼ばれる民間信仰にあるといわれています。「妖怪は人に向かって同じ言葉を二度言わない。」というのがそれです。妖怪や幽霊の不可思議な存在が今よりずっと身近にあった時代、人々は時に、「この人は本当に人間なのだろうか。」という疑念を抱くことがあったそうです。
電話をかける人はそれを見越して、「申します、申します。」と同じ言葉を2回言うことで、自分は妖怪ではありませんよと伝えました。近くにいない人の聞こえないはずの声が聞こえる電話は、当時の人々にとって、目新しくも、少し怖いような存在だったのですね。
謎2:「もしもし」はどっちから言うべき?
解答:「もしもし」言うのは電話をかけた人
もしもしを最初に発するのはかける方が言うのが正しい用法です。謎1で述べたとおりの歴史的な背景から、「聞こえていますか?」という意味で「もしもし」と言っているため、かけられた方から「もしもし」というのは間違いです。ただし現代でも、電波状況が悪い時などにはどちらからでも「もしもし」を使います。
また、現代においてかけられた方から「もしもしを言うべきでない」と断言された経験がある人がどれほどいるでしょうか?そういった意味ではもはやあまり意味がないルールなのかもしれませんが、正しくは電話をかけた方が言う、ということが通説です。
謎3:ビジネスの場において「もしもし」はマナー違反?
解答:(諸説ありますが)「もしもし」は略語であり丁寧な言葉ではないためマナー違反
なんとなく使ってしまう「もしもし」ですが、コールセンターなどでは使わないようにと指導される場合が多いようです。また新入社員向けのマナー研修などで「もしもし」の使用は控えるようにと教わった経験がある人も多いかもしれません。
理由としては諸説ありますが、もともとは短縮された若者言葉だったから、というものや、「もしもし」自体に意味がないため省略すべきだからという理由が有力です。
だったらなんていうの?「もしもし」の言いかえ
本来の意味に寄り添えば、「もしもし」は電話を掛ける側が呼びかける言葉です。従って「お世話になっております」や、「お忙しいところ失礼いたします」などが無難でしょう。
もはや「もしもし」がマナー違反なのではない「マナー違反」とみんなが認識していることをしてしまうことがマズい
例えば仕事をしている時に電話口で相手から「もしもし」と呼びかけられて不快に感じる人がどれほどいるでしょうか?ほぼ皆無でしょう。それほど普段から使われている言葉で市民権を得ています。
マナーとは、多くの人が不快に思わないためのルール未満の決まりやしきたりのようなものですから、不快に思う人がいないのであれば、わざわざマナーとして守る必要があるのでしょうか?
実はもはや現代において「もしもし」という言葉そのものがマナー違反とは言えないかもしれません。しかし「自分がマナー違反と教わったことをビジネス相手にされた」と認識した時はちょっと事情が違ってきます。
以前「了解しました」以上に間違ってしまう日本語・敬語は?ビジネスで間違いやすい日本語・敬語Best15でも取り上げましたが、「了解しました」という言葉も、その言葉そのものがマナー違反というより、皆が「マナー違反と教わったこと」を普通にやってしまった時に、相手方が受ける印象というのは「しっかりと教わって来なかった人なのかもしれない」と思われてしまうことが問題なのです。
「もしもし」においてもその言葉がマナー違反なのではなく、もしもしを使ってしまった時に、相手が「もしもしはマナー違反」と教わった人であれば、「自分は気にしないが、この人の会社ではもしもしはマナー違反であると教わらなかったのだろう」と思ってしまうことは否定できません。
それまでに、気付くか気付かないかわからないレベルの粗相の積み重ねがあったのだとすると、こうしたことがきっかけで、あなたそのものよりも、あなたが所属する会社などへの教育体制などを斜めの角度から見られるようなリスクがありますので、これそのものがマナー違反かどうかということよりも「ビジネスでは使わない」と決めてしまい、損しないことを心がけることが得策でしょう。
かけるときの第一声 ―「もしもし」の代わりに何を言うか
「もしもし」を使わないと決めたとき、では最初に何と言えばいいのか、で手が止まる人は少なくありません。かける側の第一声には、決まった型があります。相手が出たら、まず自分を名乗る。「お世話になっております。株式会社〇〇の△△でございます」と、会社名と自分の名前をはっきり伝えます。次に、相手を確認する。取り次いでもらった相手が本人かどうか、「〇〇様のお電話でよろしいでしょうか」と一言添えると、行き違いを防げます。そして、いきなり用件に入る前に「ただ今、お時間よろしいでしょうか」と都合を尋ねる。相手は何かの作業中かもしれないからです。名乗る、確かめる、都合を聞く。この三つを最初の十数秒で済ませてから本題に入ると、相手は安心して耳を傾けられます。「もしもし」の一語をどう置き換えるかという小さな問いの裏には、実はこの第一声の型全体が隠れています。呼びかけの言葉を探すより、名乗りから入る流れを体に入れてしまうのが早道です。
受けるときの第一声 ― コール数と「お待たせしました」の線
電話は、かけるときだけでなく受けるときにも第一声の作法があります。目安として、鳴ってから三コール以内に出るのが基本です。すぐ出れば相手を待たせず、印象もよい。もし三コールを超えてしまったら、出た瞬間に「お待たせいたしました」と一言添えるのが礼儀です。この一言があるかないかで、待たされた相手の受ける感じはずいぶん変わります。そして受けるときも「もしもし」ではなく、「はい、株式会社〇〇でございます」と社名を名乗って出る。電話を受ける人は、その瞬間、会社の顔になります。相手はまだ誰とも話していないぶん、最初の声のトーンや名乗り方から、会社全体の印象を無意識に受け取ります。明るく、はっきり、少しゆっくり。受けの第一声は、自分個人ではなく組織を代表しているという意識で発すると、自然と丁寧になります。誰の電話を取るときも、最初の一声は会社の看板だと考えておきましょう。
聞き取れなかったとき ― 確かめ直すことは失礼ではない
電話は相手の顔も口元も見えないぶん、名前や社名を聞き取れないことがよくあります。ここで、聞き返すのは失礼だと思って曖昧なまま進めてしまうのが、いちばんの失敗です。名前を取り違えたり、用件を誤って理解したりするほうが、よほど大きな粗相につながります。聞き取れなかったら、その場で丁寧に確かめ直す。「恐れ入ります、お名前をもう一度お伺いしてもよろしいでしょうか」「お電話が少し遠いようでございます」と伝えれば、相手も嫌な気はしません。むしろ、正確に受け取ろうとする姿勢は誠実に映ります。聞き取った内容は、復唱して確認するのも有効です。「〇〇の件で、△△様にお電話があったと申し伝えます」と繰り返せば、伝言のミスも防げる。分からないことを分からないまま流さず、その場で確かめる。この一手間を惜しまないことが、電話でのやり取りの正確さを支えます。
スマホ時代の電話マナー ― 折り返し・留守電・かけ直す時間帯
連絡手段が携帯電話やチャットに移った今、電話まわりの作法も少し変わりました。まず、不在着信に気づいたら、なるべく早く折り返すこと。ビジネスの電話は用件があってかけてきているので、放置するほど相手を待たせます。すぐ出られないときのために、留守番電話には自分の名前と用件を簡潔に残すのが親切です。「〇〇社の△△です。□□の件でお電話しました。改めますが、お手すきの際にご連絡いただければ幸いです」と、名前・用件・次の動きが分かる形にしておく。無言で切ると、相手は誰からの何の電話か分からず困ります。また、かけ直す時間帯にも配慮が要ります。始業直後や昼休み、終業間際は避け、相手が落ち着いていそうな時間を選ぶ。メールやチャットで済む用件をわざわざ電話にしていないか、逆に急ぎなのにチャットで送って気づかれずにいないか、手段の選び方そのものも今のマナーの一部です。道具が増えたぶん、どれで連絡するかの判断も問われています。
そもそもマナーとは、合理性が消えても残る「所属の言葉」である
ここまで電話応対の実務を見てきましたが、最後に、「もしもし」という一語が投げかけている、より大きな問いを考えてみたいと思います。かつて「もしもし」を二度繰り返したのは、自分が妖怪ではないと示すためだった、という話があります。今、その理由を本気で信じている人は誰もいません。にもかかわらず、言葉の形だけは百年以上を超えて残り続けている。ここに、マナーというものの本質が透けて見えます。
マナーの多くは、生まれた当初には確かな理由がありました。けれど、時代が変わってその理由が消えたあとも、形だけが慣性で残り続けます。妖怪への恐れが消えても「もしもし」が残ったように、元の合理性を失ったまま、化石のように受け継がれていく決まりごとは、私たちの周りに数えきれないほどあります。だからこそ、マナーは「正しいかどうか」で判断しようとすると、うまくいきません。合理的に考えれば無意味に見えるものが、大量に含まれているからです。「もしもしは略語だからビジネスでは不適切」という説明も、突き詰めれば絶対的な正しさの話ではありません。
では、理由が消えてもなお、なぜ人はマナーを守るのでしょうか。それは、マナーが伝えている情報が、用件の中身ではなく、「私はあなたたちの世界のルールを知っている」という所属の証だからです。同じ共同体のコードを共有している、という無言の合図。電話口で名乗りから入る人を見て、相手が安心するのは、その所作そのものが役に立つからというより、「この人はこちら側の作法を身につけている」と感じ取れるからです。マナーとは、内容を伝える道具である以上に、自分がどの集団の言葉を話せるかを示す、一種のパスワードのようなものなのです。
この視点に立つと、「もしもし」を使うか使わないかという問いの答えも、少し違って見えてきます。それが論理的に正しいマナーかどうかは、実はさほど重要ではありません。大切なのは、相手がどの共同体の言葉を期待しているかを読み、それに合わせられることです。相手が気にしない場面なら気にしすぎる必要はなく、相手が作法を重んじる相手なら、その世界の言葉で話す。マナーを覚えるとは、規則を丸暗記することではなく、目の前の相手がどんなコードで話す人なのかを察し、使い分けられるようになることなのだと思います。正しさではなく、相手の世界に合わせて言葉を選べること。それが、細かな作法の一つひとつを超えて、本当に問われている力です。
終わりに
身近すぎて気づかない謎の日本語「もしもし」について解説してまいりましたが、普段何の気なしに使っている言葉にもバックグラウンドがあり、教養のある相手には失礼に思われてしまう可能性がある、ということが「もしもし」を通じてお分かりいただけましたでしょうか。
「もしもし」以外においても、自分が言葉と言葉の間に「あー。」「えー。」などをついつい口癖で挟んでしまい、聞き手にネガティブな印象を与えていないかなどの見直しは一度した方がよいのかもしれません。
Noteも書いてます
営業を"言語化""構造化"する話を、ゆるめに

