量は質を凌駕するって言ってたら、凌駕した瞬間に営業が卒業していくんだが
うちの父親の話をさせてください。
うちは家業としてじいちゃん、父ちゃんと建設業に従事していた。道路だとか、橋だとか、ダムだとか。
高校のころ、夏休みとかに父親が工事監督をしている工事現場にアルバイトに行き、真夏に誰も来ない山奥の工事現場で治山工事と呼ばれる「山火事が起きた時に消防車が通れる道路」を作る工事の手伝いをしていた時のことだ。
父親は一人親方で、現場に合わせて必要な人員を募集し、現場が終わればチームは解散。みたいなそういう組織で仕事をしていた。
来るのは、当時高校生だった僕の少し年上の全員金髪の、いわゆるそういう属性の人たちだった。で、そういう人たちを父親がどうマネジメントしていたのか。めちゃくちゃシンプルで、恐怖と暴力だった。
金髪が何人いようが、父親は超威圧的な存在で畏怖の対象だったわけだ。
幼いながらに、僕は健全じゃないなということは思っていた。この原体験は結構大きかったみたいで、就活で僕は「組織マネジメント」というものにすごく興味を持った。
どこかで父親と金髪たちにもっとハッピーになってほしいというのがあったのかもしれない。
OB訪問をした時にOBはこういった。
「まずはたくさんの組織の課題に触れてみる、きっとファーストキャリアに必要なのはそういう量をこなせる環境を用意してくれる会社なのかもしれないね」僕は組織課題にとにかく量触れることができそうな会社をかたっぱしから受けた。
そこから何年もの時を重ねて「行動量マネジメント」というのが世の中でとても一般的なマネジメントスタイルであることを知った。
量は質を凌駕する。
素振りをした数だけ打率は上がる。打席に立てばたつほど安打数は増える。はずである。
これは個人の経験ベースの話なので、賛も否も求めているわけではないのだけど、新卒に毛の生えた営業が「効率」を追求しようと量から逃げるのはしょうもないことだと思っている。
少ないアポで効率よく受注することを求められるより、スケジュールが商談で埋まっていないことを詰められる営業組織の方が若手にとっては成長機会が多いという意見に心の底から一票を投じたい。と思っている。
残念ながら?僕の想いは叶わず僕は組織課題に触れるような営業職をファーストキャリアとして選ぶことができず、今でいうバーティカルな特定業界に閉じた商材を扱うことになった。
顧客の数は増えない中でいかに顧客に入り込み、マインドシェアとウォレットシェアをあげるのかという数よりも深さや質を問われるような営業組織でファーストキャリアを迎えるようになった。
色々なキャリアの転換を経て、あの日の金髪のことを思い出すような機会も皆無になったころ、僕は超営業会社で唯一解としての超行動量マネジメントを敷く会社と出会った以降の話である。
当時はまだ固定電話からコールをしており、本当に受話器と左手をテープでぐるぐる巻きに縛ってリストの上から順番に電話をかける。ドラマの中でしか見たことがないような組織に僕は毎日出社していた。
行動量マネジメントには依存関係があって、「確率論」
つまり、一定量やっていれば一定の割合で受注に繋がり、それは分母である行動量=商談数が多いほど安定して確率は収束していく。だから、行動量を追う。
数か月経って、僕は興味深い分析結果を手に取締役との定例に挑んだ。
受注数や目標達成をGoalに商談数やコール数を追っているにも関わらず
コール量と受注数に何も相関はありません、というデータだった。
-0.32
今でもはっきりと覚えているけど、相関係数は逆相関に近いスコアだった。
※相関係数(1~-1の範囲内で、1に近づくほど二つの数列は強い相関関係があり、-1に近づくほど片方が増えると片方が減るという反比例の状態)
たくさんコール量をした人ほど、受注数が多い。受注金額が多い。ではなく、むしろ真逆だった。少ないコール数の人の方が受注を上げている。なぜならば、商談で埋まって忙しい人はコールする時間などない。商談がない人ほどコールをする。そういう数値になっていた。
ただ、だからこそアポが取れない人は量をやらなくてはいけない。勘所や勝ちパターンををつかむためにもアポが取れるようになるまでコールをする。
そうして成長スピードに個人差があるものの、数年もその環境で成果が出るようになると「ああいう感じの背骨の通った営業が欲しい」と他社から採用の際に名指しされるほどの立派な営業マンが育つという意味では、量は質を凌駕していたのだなと思う。
そして、何社かのそういったマネジメントスタイルの会社に共通する課題として「量が質を凌駕しはじめると、営業が辞める」というのが多かった。
もちろん、凌駕するまでに過程でもっと多くの退職者を出しているのだけど、残念ながら成果を出せるようになった、とか受注率が平均を超えてきたみたいなタイミングで一定の流出をしてしまうという話を良く聞いていた。
いつものように僕はテーピングで左手に受話器ぐるぐるにされた営業組織の島を横切って自分の席に向かっていた際に、いわゆる、その営業組織でイケてるとされている営業マンの資料を目にした時のこと。
なんとなく開いた数枚のスライドをめくるうちに気づいたことは「量は質を凌駕してないじゃん」ってことだった。
書かれている顧客の課題は一般論の域を出ないものだし、資料のクオリティは汎用企画書フォルダの中からいくつかのスライドをただつぎはぎしたものだった。とてもじゃないが、顧客の課題にぶっ刺さるような提案書のクオリティには届いていなかった。
その後も、何人かの"凌駕済み"とされている人たちの提案書を見たり、商談に同席してみても特に僕の心を打つような話も資料も、ついに出会えることはなかった。
でも一方で、彼らが売れる理由もよくわかった。
畳みかけるように話す人もいれば、顧客の焦りをあおるようなスタイルもあれば、お値打ち感・申込期限・断言するスタイル。様々だったけど、何より、彼らは顧客に愛される人物ばかりだった。
量がもたらしたのは、質やスキルという文脈よりかは、リレーションや関係性が幅を利かしたグリップ力によってもたらされているのではないか、と仮定を置くといろいろな問題が説明がついた。
事業が見ていたのは量と成果であり、質については一切の言及がなかった。
事実、質のKPIというものを僕がその現場を去るまで1ミリたりとも目にしていない。
そして、去っていく人たちの本音は「お客さんは好きだけど別に仕事が面白いとは思わない」ではないかなというのが僕の仮説である。
量は質を凌駕するという考え方のもと、量を追うということを事業が決めた先に見ているのは凌駕したかどうかではなく、結果として目標達成したのかどうか、であり、商談や資料のクオリティについて何ら成功体験を積む機会はなく、あったとしてもそれは偶発的に起こる。
そして偶発的に起こることも起こらないことも、事業にとってはどうでもいい。そこそこに育った営業が辞めるという事実が残るだけである。
きっと僕が見てきたのは、正確には量は質を凌駕すると思ってたら事業が質に全くこだわってなくて、単純に飽きて営業が辞めまくる営業組織の話。
なぜそんなことが起きるのかということにももちろん僕なりの答えを用意していて、そういう組織においてはその一点で成功体験を積みポストを上げてきた人が責任者に立っているから、量をこなす以外の営業メンバーの育て方がわからないから、だと思っている。
