ヒアリングにおいてなぜですか?は最後の手段だからな
顧客の課題というのは、根深い。根深いからこそ、営業はヒアリングを重ねて課題を深堀りしていく。
新卒のロープレを横で聞いていると「一問一答になってる」という先輩のフィードバックが聞こえてきて、今年もこの季節が来たな~と思う。
そう、我々はどうにかヒアリングの型を安定させるために「なぜですか?」という質問の仕方を開発して、容易に顧客の課題をたどり着けるという幻想のもと「もっと顧客の課題を深堀しなきゃ」というフィードバックを量産してきたわけである。
魔法の質問のなぜですか?の会話を重ねるとこんな稀有な間違い方だって可能だ。
「今朝から少し足が筋肉痛気味なんだよな」
―なぜですか?
「昨日、ちょっと夜に思い立って筋トレしたんだよね」
―なぜですか?
「最近少し体がなまっている気がしてね」
―なぜですか?
「加齢だろうね」
―なぜですか?
「神が人類に唯一平等に与えたもの、それは時間」
僕が今日少し筋肉痛なのは、神が時間という概念を我々に与えたからである。ウケるんですけど。
そう、なぜですかについては深堀すればいいってもんではない。
し、じゃぁ仮に神の領域で課題設定をしたとして、営業であるあなたはそれを調理できる腕を持っているのかという次の問題にもぶつかる。
つまり深堀りすることに意味はなくて、顧客の課題を解決すること、それに沿った自社のソリューションを提案すること、に意味があるわけだ。
特に新卒に「一問一答になっている」というフィードバックができるぐらいにはなった2-3年目以上の営業の皆様に是非聞いてもらいたいことがある。
今日は、本当に「なぜ?」かが全く想像がつかないなら質問すんな。って話をしたい。
なぜなら、その要因について想像もつかない事象に対して「なぜですか?」と質問をして出てきた顧客の回答を課題に置いたとして、きっとあなたがそれを解決できる可能性は結構低い。
想像もつかないということは、あなたに未知の領域、扱ったことがないから想像がつかないからだ。
しかし実は違う。
その回答は結構平凡なものだったりする。そう、営業が扱ったことのある課題が大半である。
つまり、想像もつかないわけではなくて
聞いたら聞き覚えのある回答が来るが、質問する際にそこまで考えを及ばせていないから
もしくはバカみたいに「なぜですかオウム」に憑依する育てられ方をしてきてしまったからだと僕は思う。
朝起きたら筋肉痛になってて、午前中少しけだるさを感じる足で生活をしたことはないだろうか?
前日運動しただとか、立ちっぱなしだったとか、重いものを運んだとか。何かしら経験があって誰であっても筋肉痛を経験している。
だったら、「何か運動とか筋トレでもしたんですか?」と聞けるはずなのになぜですか?と会話の行方を顧客に預けてしまう。
これによる弊害は結構大きくて、どこに着地するかわからない会話を始めてしまったという点にあると思う。
違うアプローチをしてみよう。
「右足?左足?どっちもですか?」
「太もも?膝から下?どっちですか?」
と顧客が課題を抱える箇所の特定という形であればもっとスマートに会話の着地点をイメージしやすくなる。
会話の着地イメージを持てるというのは、顧客の発言した内容に対してその要因や問題個所についての
"仮説を持てること"が条件になっている。
顧客が発した事象を引き起こしているもの、その仮説を持てる営業は
なぜですか?ではなくて
それはAですか?それともBですか?
それって(1)が要因とお考えですか?それとも(2)の要素が強いと思いますか?
それはずっと起きてますか?それとも最近表出してきたことですか?
特定の条件下でのみことなのか、どういう場面でも起きうることなのかどっちですか?
という形で
「僕はきっとこうだと思っているんだけど、実際そうなのかいくつか質問させてください顔」
で質問することができれば、きっとソリューションに繋がる課題にたどり着くスピードは早くなるだろう。
そして、この質問の仕方の強いところは
「顧客が顧客の課題を要因含めて完璧に抑えている」わけでなくとも作用するという点だと思う。
”確かにその観点ではあまり考えたことなかったけど、重要かもな”という顧客を揺さぶれる場面に一定確率でたどり着けること。
なぜですか?では一生来ない。
ヒアリングで顧客を揺さぶるための一歩目の成功体験としては、簡単な割に成功しやすいという効能があると僕は思っている。
顧客は商談に意志を持たないことが多い。
この商談を通じてどこに到達したいかの意志を持つのは営業側なわけだから、なぜですか、で出たとこ勝負するのではなくて、AかB、どっち行きたい?と顧客を丁寧に導いてほしい
