アホほど答えを知りたがるというパワーワード
アホほど答えを知りたがるというパワーワード
僕は「具体と抽象」というキーワードを日本で一番使うオトコかもしれない。
「AIを使って商談文字起こしを自動集約するためには、GASが必要」
これを抽象とすると
「Meetの文字起こしがGmailに飛んでくるのを未読のもののみを15分に一回トリガーを動かして、GASでgetFiles()のスクリプトを使って、データ取得する」
これが具体
営業の場面でいうと
(抽象)
・ヒアリングは9つのフレームに集約ができる
ー因果
ー前後
ー包含
ー並列
ー程度
ー主体
ー判断
ー変化
ー対処
(具体)
それってどこでどの程度起きているんですか?(程度、主体)という質問の仕方
などである。
見てわかる通り具体になればなるほど、手法論やHowに近いものになりその場面をありありと想像ができる。
逆に抽象であればあるほど、概念的でフワっとして、「いろんな意味を持っている」印象がある。
我々は知らず知らず、この抽象と具体を行き来した会話をしていて、特に落とし込む(抽象の概念を具体に変換していく)場面は、幾度となく登場する。
一方で、具体を抽象化するという場面は、逆ほどは多くなく、どちらかというと「伝える側」に求められる場面が多く、限定的な場面かもしれない。
人は具体だけを聞き続けると全体像が知りたくなるし、抽象だけ聞き続けると一向に現場感・手触り感のない絵に描いた餅感を拭えない。
今までしたお話は比較的「抽象」のお話。
僕が出会ったのは、こんな「具体」の場面だった。
どこかのパートでがっつりコンテンツとして書こうと思っている「構造化思考」という概念がある。この構造化思考を持てているかどうかで、ヒアリングの質は大きく変わるし、顧客の認知を揺さぶりにかかるにはこの思考性が必要ですよ。というテーマの勉強会の講師をした時のこと。
極めて抽象度の高い話であり、概念的に自分の業務や自分の商談を思考の中に持ち込んで抽象を具体に翻訳するということの難易度は高いだろうな。
もっと言うと「ポカーン」の連続だろうな、という想定をしていた。
ただし、聞き手の中の2人でも3人でも、この概念にぶっ刺さって明日からの商談にこの抽象的な概念を持ち込んで、具体化してくれる人が出てきてくれるのではないかという期待を持って、あえての多数のポカーンを覚悟の上で抽象的な話に終始した。
そのうえで、やはりというか想定以上に
「明日から何したらいいですか?」
「構造化できる質問を具体的に教えてください」
と具体に関する内容に質問が集中した。
ネクストアクションや具体の質問を提示することは可能だった。でもそれは、概念を理解していてもしていなくても、具体にすれば人は実行することはできる。
ただ、抽象の理解の概念を伴わない具体には何の意味もなくて、仮に成功体験を詰めたとしてもあくまでもそれは偶発的であり、その人のスキルに返ってくる可能性は極めて低いと思っていたので、具体への落とし込みは一切しなかった。
数人の激刺さりを期待して、数十人のポカーンを犠牲に。
前職の同僚のマキちゃんとオンラインMTGの話をしているときに、この話になった。マキちゃんは優秀なんだけど少し毒があり、文句言いなんだけど仕事のクオリティは高い、というそういう人だった。
「アホほど答えを知りたがるしな~」の一言が全てを的確に表していた。
・自分なりに解釈して、これであっているのか?という質問の仕方ができない
・合っているかどうかを知りたいのであって、判断基準や採点基準を知りたいわけではない
・なぜ?に興味を持てない
もちろんここでいう「答え」とは先ほどの「具体」のことである。
この勉強会で扱った事例がある。
「投票率」というキーワードを用いて、日本が抱える社会課題の構造を一例示してください というテーマだ。
これは「投票率」という具体の起点や経由地は明示しているが、社会課題という「抽象」をひも解くというものだ。
僕が事例として示したのは簡単に言うとこうだ。
日本は投票率が低いだけではなく、世代によって投票率の乖離が大きい。
既知の通り、高齢者になるほど高く、現役若者世代は低い。
それぞれの世代の特徴として、高齢者ゾーンは現在の社会保障を、現役世代は子育てという未来を重視する傾向がある。
高齢者の投票率が高いので、民意として反映されやすい。
これがどういう課題になるかというと、若者世代含めた未来の投資への原資としてではなく今の社会保障の維持のために公金が使われる側面が強い。
これにより、少子高齢化の促進に加えて、経済を成長させるエンジンの一つの火力が弱まる。企業の国内への投資意欲が抑制され、来るべき人口低減期に向けた内部留保への圧力が高まる。
結果、個人への給与還元が後手になってしまうことで、子供を持つという選択肢がより制限され、少子高齢化がより促進されるという投票率を起点とした循環型の構造になる社会課題を抱えている。
勉強会資料要約
これが実態を正しく反映している主張かどうかはおいといて、投票率を起点とした構造であると同時に「具体」だ
この具体の説明を聞けば人は理解できる。しかし具体としての事象を理解したにすぎず「構造」という抽象的なフレームを自分のものにできているわけでないと思っている。
こういった事例を自分で出してみな、とオーダーして10分ほどの時間を与えてもなかなか思いつかない。
つまり、抽象化する思考力がたりず、さらにその先に具体に落とし込むが、できない。すぐに答えを知りたがる習慣が、思考体力を育てる機会を着々と奪っているな、と思う。答えなどないテーマの方が圧倒的に多いというにも関わらず、だ。
次はこんな話をさせてください。
小学校5年生の時に、僕は中学受験をするためバスで15分ほどの塾に通っていた。京都大学に通ってアルバイトをしていたであろう塾講師の国語の大西先生の授業が先進的過ぎた。
真冬の授業、時間は19時とか20時とかそういった時間だった。大西先生は「国語で点数取るのは簡単やで、感受性を磨け感受性を」と教卓から教室を見回して言った。
まぁ感受性なんて言葉わかんないだろうな、と言いながら教室の窓を開けた。その瞬間に、カーテンがフワっと浮いた。
「な?見た?」
と大西先生はまた僕らの方を見回した。
今、カーテンがフワっとしたのを目で見ているが、脳で処理しない人がいる。
窓を開けたからカーテンがフワっとしたのと繋げて認識する人もいる。
さらに、外は風吹いてるのかな?まで想像する人もいるし、
もしかしたら外は寒いのかな、風邪ひかないように暖かい恰好しなきゃな。まで想像が及ぶ人もいる。
これが感受性。
国語ってのは、文章を読む。それが何を意味するかを想像して、繋げる。
~~~と、筆者は思った、なんて書き方の問題を見たことがないだろ、そういうことよ。
本を読め本を。
本を読んだら、感受性が上がる。
感受性が上がれば点数も上がる。
と締めくくった。
小学5年生の僕には衝撃過ぎた。
そんなおかげもあってか、僕はめでたく志望校に入学することができて、そして今は志望校が母校になって何十年もの時間が経過した。
中学の同級生にQちゃんという友人がいる。
彼は、大学を卒業した後にSM雑誌の編集者という異色の経歴を経て、かねてからの夢であった教員になるために大学に入りなおしてそして、地方の公立中学の国語教師になっていた。
年末年始に久しぶりに旧友と集まり、麻雀卓を囲みながらこの話をした。
Qちゃんは西を捨てながら言った。
「ヤバイな大西先生、オレも今度生徒に言ってみるよ」と少し興奮気味に言った。
数か月後か、またQちゃんと再会したときにQちゃんが教えてくれた。
「生徒に話してみた。ポカーーーーーンよ。数名が少し反応したかな、ぐらいで、先生何言っているんですか?って目で見られて終わった。なぁ思うんだけど、その話に刺さった時点でもう勝負はついてんじゃないか、って、あっロン!」
なるほど。それはそうなのかもな。答えよりも構造を知りたがるという好奇心や感受性は比較的多感な時期にある程度定義されていることなのかもしれない。
ただ構造を知るというモチベーションが、好奇心や感受性起点のみなのだろうか。課題感を起点として、そこに猛烈に意欲的に自分の思考として定着させることに執着するということはあるんじゃないかな。
僕は企画マン。
再現性を持って構造化思考や具体や抽象というテーマの思考を人に定着させること、教育ではなく業務設計の観点からこのテーマにライフワークのように向き合い続けている。
